2012年10月22日月曜日

「遠くを、見よう」

脳科学者・茂木健一郎さんが、Twitter上で毎日行なっている「連続ツイート」で、とても印象的なものがありましたので、備忘メモを兼ねて共有します。

第747回「遠くを、見よう」。

(引用ここから)
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昨日、Society for Neuroscienceが終わった後で、みんなでご飯を食べていたら、田森佳秀の学生の清水くんが来た。清水君に「君さ、科学の歴史上の業績で、一番感動したものは何で、その理由は何ですか?」と聞いたら、田森が、「おお、それはいい質問だ」と言った。

ある人が伸びるかどうかは、その人が、どれくらい遠くを見ているかで決まると考えている。そして、その遠くは、自分の今のレベルから離れた、背伸び、野次馬的なものでいい。学校で習っていないからとか、そういうことは理由にならない。遠くを見ていないと、手元もしっかりしない。

私自身は、小五の時にアインシュタインのやったことを知って、本当に感動した。相対性理論と、そこに至る道筋が凄い。田森も言っていたけど、量子統計や、連続体仮説、不完全性定理など、そういうものを知ることで、感動するし、一つの「基準」になる。それに比べてどうなのかと。

科学だけの話ではない。たとえば、政治を志している人ならば、どの政治家の、どのような功績が、すばらしいと思うのか、そしてそれはなぜか、ということについて語ることができなければならない。小説家ならば、どの小説家のどの作品が素晴らしいのか。音楽ならば、どの仕事か。

バレエならば、どのダンサーの動きが素晴らしいのか、あるいは、どの作品の、どの演出が素晴らしいのか。時には、「なぜ」が言えなくても、北極星のように、自分のはるかな目標になる、遠くに輝くものを、できるだけ早い段階から、知っていた方がいい。そうでないと、伸びない。

遠くを見ていれば、途中の段階のあれこれに一喜一憂したりしない。たとえば、入試なんてものは、それ自体に意味があるわけではなくて、受かればよし、受からなかったら、なんとかするしかないものだが、遠くを見ていれば、入試で必要以上に落ち込んだり、虚栄心を持ったりはしない。

人間関係や、仕事上の苦労もそうで、遠くを見ていれば、多少のトラブルは気にならない。むしろ、もっとがんばろうと思う。遠い目標が見えていないと、人は迷う。へたをすると、自分はダメだと落ち込む。そして、やがて、すべては相対的で揶揄の対象であるという、「皮肉のスタンス」に陥る。

先ほどツイートした、ジョブズの30年近く前のスピーチに関する記事(http://t.co/OXCnDyXU)にも、遠くを見続けることの大切さを改めて思う。コンピュータの未来はこうなる、というはっきりとしたビジョンを持っていたからこそ、ジョブズは迷わず航海できたのだ。

若いやつと、心が若いやつに言いたい。君たちは、どれだけ遠くを見ているか。遠くを見る望遠鏡になってくれるのは、なんらかのすぐれたもの、偉大なものに接した時の「感動」である。そんな感動がエンジンとなって、トラブルつづきのやりきれない日常を乗り越える力が、君に与えられる。
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(引用ここまで)

「遠くを見よう」ということで、私も100日毎に「定点観測」を行なっているのですが、実は最近、そこで記載していた内容に少し違和感を感じるようになって来ました。

もしかしたら、本当に心の底から沸き上がってきた内容ではないのかもしれない。

「こうだったらカッコイイなぁ」と思うことを記載しているだけかもしれない。

そしてそれは、もしかしたら、アタマで描いただけで、ココロで描いたものではないのかもしれない。

ココロで描いたものでないなら、たとえ実現できても、幸せには感じないかもしれない…。

幸い、冬に出産を控えて、大きな行動を取りづらくなり、考えるモードに入りやすくなります。このタイミングでもう一度、自分の将来図を塗り替えてみてもいいかもしれない、と思っています。

自分のココロに素直に。素直なココロで遠くを、見よう。


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