「怒らない技術」シリーズの著者である、嶋津良智さんが発行されているメールマガジンの中で、とても心を打たれたご意見がありましたので、備忘メモを兼ねてこの場で共有します。
(引用ここから)
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私は怒らない技術のセミナーの中で、
「怒り」や「イライラ」は、あたかも対象者が自分に与えているものだと思いがちだが、元をたどれば、相手の行為や言葉に対して、自分自身が「怒る」や「イライラする出来事だ」という意味づけをして、自らが発生させている感情なのだ。
という話をします。
出来事には何の意味もないのです。出来事に意味付けをしているのは自分自身なのです。
例えば、「幸せ」と言うことで考えていただければわかりやすいと思いますが、「幸せの形って人それぞれだよね」と言います。
目の前にある状態を「幸せだ」と言う意味付けをすれば幸せになりますし、「不幸せだ」という意味づけをすれば、どんな状態でも不幸になってしまいます。
実は「怒り」も同じなのです。
目の前にある出来事を「イライラする」「頭にきた!」という意味付けをしてしまえば、どんな出来事でも怒りの対象になってしまいます。
ですから、怒りっぽい人と言うのは、目の前に起きた出来事に「イライラする」「腹が立つ」という意味づけを数多くしてしまっているだけなのです。
どんな出来事も他人も言葉も状況も、実はあなたを怒らせることはできません。
そこには「怒らない」「イライラしない」という選択肢があるにもかかわらず、自らが「怒る」や「イライラする」という意味づけをして、その感情を自ら発生させてしまっているのです。
要するに、その出来事を、どう受け取ったかという、その人自身の受け取り方が「怒る」も「怒らない」も決めているのだということを理解してほしいと思います。
よく、素敵な彼氏や彼女がいた時に「心奪われる」という表現を使いますが、実は怒りも同じで、相手に心奪われている状態なのです。
自分の心が相手にコントロールされていること。
要するに怒っている相手に、自分の心を支配されている状態なのです。
私はなぜほとんど怒らないのかといいますと、自分の心のハンドルは自分で握っていたいと考えているからです。自分の心をネガティブなことで人に支配されるのが、たまらなく嫌なのです。
あなたは、自分の心のハンドルを自分で握って、人生のドライブをしたいですか?
人に握られて車をハイジャックされた状態(支配された状態)で人生のドライブをしたいですか?
どちらがいいのか考えていただければお分かりになるように、「怒り」という感情を上手にコントロールしてほしいと思います。
「怒り」という感情のコントロールは、認知行動なので、刺激と反応から成り立っています。要するに、今まで怒りの対象となっていた刺激に対する、反応を変えれば、コントロールできるのです。
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(引用ここまで)
「自分の心のハンドルを自分で握る」。
職場のデスクまわりに貼っておく標語が、またひとつ増えました。
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