2012年6月7日木曜日

高精細の心を持つ

先日、愛読メルマガ「平成進化論」で書かれていたメッセージがとても印象的だったので、所感とともに備忘メモを兼ねて引用します。

(引用ここから、改行のみ一部編集を加えています)
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■「情けは人のためならず(慮ることによって、慮られる)」
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昔、ある人のエッセイに書かれていたことを今日はお話ししたいとおもいます。

細かいところまでは再現しきれませんが、おおよそ以下のような話だったように記憶しています。

テレビの報道で、地位も立場も名誉もある人が自殺した、と聞いたある人の奥さんが「そんなにいいポジションにいながら勿体無い。死ぬなんてバカじゃない?」といった。

それに対して旦那さんが「一人ひとりの胸のうちには誰にも斟酌することができない、いろいろなものがあるんだ。分かったような口を利くもんじゃない」と、たしなめた(烈火のごとく起こった?)というお話。

おおよその流れを再現しただけなので、これだけだと分かったような、分からないような話かもしれませんね。

ひとえに私の再現力、表現力不足です。すみません。

ただ、イメージして頂きたいのですが、「なんとなくありそうな話」ですよね。
(もちろん、奥さんとご主人が逆のケースもあるでしょう)

著者さんは「こういう人と結婚してはいけない」というような話をされていたように(?)覚えているのですが、この文章に触れて、人生の複雑さとか重層性とか奥行きとか、割りきれなさ、生の悲劇性、といったものに改めて思いを致した記憶があります。

昨日までしてきた話とも関係するのですが、「一人ひとりの胸のうちには誰にも斟酌することができない、いろいろな事情があるんだ」というのは、まさに一人ひとりのうちに「各人固有の歴史・背景・文脈」がある、ということを表しているように思います。

そして、それら全てを理解することはできなくても、「理解しようとする心がけ」を持ち、同時に、「完全に理解することは不可能である」ことを承知しておくことは、人と人とがつながり合い、構成されているこの社会を生きる上でとても大切な心がけ、(というよりは、むしろ「必須」というべき資質)であると思われるのです。
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(引用ここまで)

これを私なりの表現で言うなら、「高精細の心を持つ」ということになります。

つまり「世の中は、自分の価値観だけを基準にして、白黒はっきりさせることは不可能であり」、「相手の背景や思考に思いを馳せれば、なぜそのような行動を取ったのかが見えてくる」ものだから、「相手を『絶対』と断罪することはできない」のです。

そして、こうした「物事への繊細かつ配慮にあふれた視線をおくり、理解を示そうとすること」が、信頼されるマネジメントであることではないでしょうか。

心の解像度が高いと、心の解像度が低い人からの、心ない言葉に痛みを感じることも多くなると思います。しかし、心の解像度が高ければ高くなるほど、世界は美しく味わい深く見える。そう信じています。

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